元ジェットの 旅行記

見たことないものを見る、やったことないことをやる、行ったことないところへ行ってみる!とにかく当たって砕けろ!で毎日が探検!RPGの人公になったつもりで未体験ゾーンを開拓していきます♪

太平洋戦跡巡り その1 泰緬鉄道 5/5

      2016/12/24

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

泰緬鉄道を訪れて感じたこと

通算して3、4回訪れてはいますが、
このツアーはわたしに大きな衝撃を与えました。

先にも少し触れましたが、
日本は開国後わずか数十年で太平洋戦争に突入します。

開国してみたら、世界は「やるかやられるかの分捕り合戦」の植民地時代だったわけです。
世界がそうなっているんだったら、そのルールにのっとってついていかなきゃ、やられるだけ。
それに危機感を感じた開国の志士たちは使命感を持って、「国を存続させる」ことを志して立国しました。

ほかの宗主国がそうしたように、
ロシアが南下してきて中国を蹂躙し食い物にしいよいよ朝鮮半島まで迫ってきた。
これは、反撃しないと地理的に不利な日本はいずれ潰される。
そうして、日本も「分捕り合戦」に参戦しました。

「分捕り合戦」には一応のルールがありました、
国際法です、

しかし国際法といえどもそれは強者の論理、にすぎません。
搾取されている側からすれば全く蚊帳の外であり
そもそも「他人の土地を植民地化していいのか」という倫理は度外視のまま
世の中は進んでいきました。

それに忠実に従いながら、
たとえば「宗主国は植民地の教育や衛生を改善する義務がある」というもの、
日本はパラオや台湾でそれを行い現地の疫病罹患率は下がり識字率は上がったのも事実だそうです。

しかし戦争が進んで形成が苦しくなればそれも二の次、
現地住民は結局搾取され利用されざるを得ない状況になってしまいます。

そんな極限が、この泰緬鉄道の戦跡に見て取れたのです。

 

 

戦跡で見たもの 日本人の根性

加えて日本は、「分捕り合戦」の後発だったためあらゆる面でハンディキャップがありました。
国力、生産力、資源、戦力、兵力。
これらをカバーするには、ほかの国にはないものを身につけなければ勝てそうにもありません。
状況的に、そして伝統的に、そのハンディを補完するものは「根性」だったわけです。

日露戦争の戦記物などを読んでいるとその様子がよくわかります。
日本兵は白兵戦を得意としたそうです。
白兵戦というのは、近代的な戦争ではなく、
相手の塹壕の中に殴り込んでいって相手と格闘するという戦い方です。

日本兵は日露戦争で、敵の機関銃になぎ倒されながら、
仲間の死体を乗り越えて敵の塹壕に突入していって、
銃剣で敵をやっつけたそうなのです。

鉄砲のなかった戦国時代のような話です。

ロシア兵と日本兵の戦いの様子を描いた話が印象的です。
たしか司馬遼太郎の著作だったかと思いますが、
日本兵が突入していったロシア軍の塹壕の中で格闘中にそこに爆弾が落ちたか何だかでみんな死んでしまったそうなのですが、そこを後から見に行った兵士の話によると
「日本兵がロシア兵にとっくみかかり、爪や指が相手の体内深く食い込み、眼球はえぐられ、かみついた相手ののどが食いちぎられていた」そうです。

獣のような戦いぶりです。

これは日本兵が、徹底的に「根性で戦うこと」を訓練されたためだと思われます。

普通人間だったらそんなことできません。
それをできるようになるまで日本軍は徹底的に訓練されていたようです。

 

わたしは今でも、日本人が世界一の根性を持っている民族だと思っていますが
その根性はこのころ身についたものなのかもしれません。
それが文化的、社会的に再生産され今日に至っているのではないか、と思います。
死ぬまで働く、とか、仕事のために滅私奉公、などはこのころの軍隊の論理が形を変えたものだと思っています。

死ぬまで働く、とか、仕事のために滅私奉公、とかは、「日本兵がロシア兵にとっくみかかり、爪や指が相手の体内深く食い込み、眼球はえぐられ、かみついた相手ののどが食いちぎられていた」話のように、外国人からしたらそれは異様な思考回路なのです。

 

とにかく、日本はそうして根性を出してタイに行きました。
根性を他人に強要して、「普通では考えられない早さで」泰緬鉄道を完成させてしまったのです。

 

その犠牲はとんでもなく大きいものでした。
連合国軍捕虜2万名、現地徴用民間人20万名です。

ここまで犠牲が拡大したのも、日本人の持つ「根性論」が原因だったのではないかと思います。

 

泰緬鉄道建設ののち、戦局は悪化をたどっていきます。
そもそも、陸軍も海軍も開戦前は、「一、二年なら大暴れできるがそれ以降はどうなるかわからない」という観測のもとに戦争を始めていたのです。

これも、根性論の一つかもしれません。
なんともならなくなったら、あとは根性だ。
そこまで日本は列強に不利な状況に追い込まれ切羽詰まっていたともいえるし、本当に根性だけでなんとかなると思っていたらそれは浅はかであるともいえるかもしれません。

そんなわけでやがて南洋でアメリカ軍の反撃が始まり、
海の上で行われる戦争ですから日本は航空兵力を南方にもっていかざるを得なくなってしまったようです。

 

泰緬鉄道訪問で得たもの

このように、戦跡を訪問することで現代日本人のルーツを見たような気になりました。
それまで全く興味のなかった世界史、そして太平洋戦争そのものの歴史も
少ないながら持っていた断片的知識が有機的につながり始めました。

こののち、日本軍は、さらにイギリス軍がインドに構える航空拠点である「インパール」という町を攻略しにかかります。

クウェー川にかかる、捕虜が並べられた橋に爆弾が落とされた悲劇の実行者となった飛行機も、イギリスがインドに設けた航空拠点、インパールからやってきていたのです。補給路を断つためにビルマに行った日本軍は、イギリス軍の空爆に悩まされることになります。航空戦力は、何度も書いたように南洋方面に転用されたため空の防御力がゼロに近かったのです。そのため、陸からせめてイギリスの航空拠点をつぶしにかかりました。

Picture4

雨季には激流となるチンドウィン川を越えて日本軍は進軍しました。

インパール。そこではいったい何が起こったのか

そして、クウェー橋に連合国軍捕虜が並べられ爆撃を防ごうとしたという話から、
このエリアから日本軍の防空部隊、つまり航空戦力を転用せざるを得なかった南洋、そこでは何が起こったのか

このように、興味関心が有機的に連ながりはじめました。

太平洋戦跡巡り 泰緬鉄道 まとめ

さて、ここまでのまとめです。

泰緬鉄道を実際に訪れて

  • 目的が倫理観にすらも優先されてしまう戦争のつらさ
  • 日本人の根性

について大きな実感をもって体験しました。

また、実際に体験してみることで自分の興味が

  • インパール
  • 南洋

へと向かい、実際に書籍を購入して何があったのかを知ろうとし始めたのです。

これが、わたしがこの「太平洋戦跡巡りシリーズ」を書くことになった最初のきっかけでした。
こののち、各地で基本的には同じようなことを感じながらも、
そこから見る現代日本の社会的構造に起因する問題に気づくことになったのです。

なぜ、世界で最も発展した日本に住む我々が
希望を持たず、生きがいも持たず、毎日息苦しく生活しているのか。
その理由の一つまでをも見出していくことになります。

こののち、わたしはインドのマニピュール州にあるインパール、そして南洋のソロモン諸島ガダルカナル島、そしてパラオ諸島ペリリュー島を訪れることになります。

Picture3 Picture5

旅の詳細を次回以降続けます。

にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ





 - 太平洋戦跡巡り, 旅行記